オペラ『ファウスト』(グノー)感想

トレーラー:


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オペラ本編(公開日:2025/09/12~2026/03/12):

 
YouTube』の『OperaVision』公式チャンネル上で公開されていたものを視聴。
『OperaVision』とは、欧州連合EU)の支援を受けて最新のプロのオペラなどの芸術作品の公演の一部を無料で配信できるようにしてくださっている場所です。
 
WEB『OperaVision https://operavision.eu/』(最終アクセス日:2025/11/02)
WEB『YouTube』-「OperaVision公式チャンネル https://www.youtube.com/operavision」(最終アクセス日:2025/11/02)
 
基本情報:
オペラ『ファウスト(原題:Faust)』(シャルル・グノー)
言語:フランス語
撮影日:2025/05/15
公演場所:リールオペラ座Opéra de Lille、フランス)
オーケストラ:Orchestre National de Lille
監督:Denis Podalydès
詳細情報1:『OperaVision』の作品詳細ページ(https://operavision.eu/performance/faust、最終アクセス日:2025/11/02)
詳細情報2:『Opéra de Lille』の作品詳細ページ(https://www.opera-lille.fr/spectacle/faust/、最終アクセス日:2025/11/02)
 
本作は、1859年に初演が公開されて公演を重ねていく中で、1869年には大幅に改訂されて作り直されたという経緯がある作品である。現在も一般的に公演されるのは後者の1869年の改訂版である。
ただ、近年は1859年の初演版も改めて公演されるようになってきており、今回視聴した『ファウスト』もその1859年版に従った内容となっている。
 
あらすじに関しては、先に上げた詳細情報のページなり『Wikipedia』なり見てくれレベルのことなので省略する。ゲーテの『ファウスト』の第一部を題材にした作品です。
 
本作は1869年版のほうはリブレットを原文で読んでいる程度には好きな作品である。というか、『ファウスト』が好きなのである。ファウストはいいぞ。
この1859年版は初めて観たので、なるほど1869年版とこう違うのかの連続であった。なにせ、ちょっと話が進んだかと思うと、新規の挿話があったり、なんか全然違う場面になってたり、場面の順番が入れ替わっていたり、結構キャラクターの立ち位置が変わっていたりする。おかげで自前のリブレットを翻訳したものもあまり役に立たない箇所もあったので大変であった。本作と言えばというので看板の曲の一つであるはずの『金の仔牛の歌(Le veau d'or est toujours debout)』がないのには一番びびったところがある。
 
新規の(というのもおかしな話だけれども)挿話のことは置いておいて、その差分に簡単に触れておくと大体以下のところが個人的には目立って印象に残った箇所だった。
69年版ではマルガレーテはあくまで子供を身籠った状態で少なくとも子供は生まれても赤子程度なのだけれども、59年版は(今回の舞台の演出でなければ)赤子よりは育っているだろう大きさまで子供が既に育った状態で舞台に現れたりもするし、ラストにキリストを讃美する合唱ではこの子供にスポットライトが当たるような演出がされさえしている。つまり、この子供に神の光を過ぎらせるような感じになっている。恐らく69年版だと大方の演出はマルガレーテの死ないしはその死に様に焦点が当たるようなふうにしながらエンディングに入るものが多いはず……。
マルガレーテが教会で祈る場面は69年版ではヴァランタンが帰還する前だが、59年版では彼が死んだ直後のできごとになっている。もちろん、このため、教会での祈りの場面の印象が大きく変わってくるものとなっている。
 
今回の舞台の監督を務めたDenis Podalydèsは、以下のような解釈をしているとのことである。
 

un opéra fondamentalement anti-puritain dans un monde puritain dont il épouse pourtant le code religieux, et qu’il feint d’observer. Il y a dans cette œuvre un aspect double ou duplice – une hypocrisie structurelle, typique du Second Empire. Car Gounod est un vrai catholique en proie à des démons d’autant plus démoniaques qu’il est fervent chrétien. (引用源:『OperaVision』の作品詳細ページ(https://operavision.eu/performance/faust、最終アクセス日:2025/11/02))

 

要は、ピューリタン的な世界の中でアンチ・ピューリタンとして存在しながら、その宗教観を受け入れていて、しかもそれに従っているように見せている。ここにはフランス第二帝政(1852-1870年)が抱えていた二面性・二重性・偽善性が現れているのだ云々みたいなことを言っている。
この発言からも伺えるように、59年版はとにかくその時代性というものが69年版よりも濃く表れるものだったなあという印象が強いものとなっている。戦争というものもそうだし、人々が軽薄に享楽へ溺れていく頽廃的な姿も、特に後者におけるメフィストの働き掛け方も。恐らく初演当時くらいに観た人からすれば、まさに今現在の話をしているんだなあというのは嫌でも伝わる内容になっていたのではないのかなあと思う。69年版はそのへんのややごちゃごちゃしたところがブラッシュアップされてより普遍的、寓話的にテコ入れしたものだったのだなあと思う。個人的には69年版のほうが好きである。
59年版(というか少なくとも今回の舞台で)は、マルガレーテを愛して子供もできてしまったことに対して、悪魔と手を切って改めてマルガレーテと一緒になりたいファウストという姿になっていたのも目新しく思えた。69年版もそういうものはあったとは思うけれども、そこがもっとずっと深刻な願い、本当の願いになっている感じがする。だから、マルガレーテと一旦別れてからのファウストもここでは浮ついたところはほとんどない(69年版はなんだかんだフワフワし続けていた印象なのだけれども)。時代の狂乱と頽廃とは縁を切って、今一度新たな人生を、新たな時代を築きたいファウスト像。真の意味で生まれ直したい、生き直したい、家族になりたいファウスト。まあ、狂った時代はそれを許さないし、マルガレーテとはまともに意思疎通はしないからすれ違って彼女は狂って子殺しをして死刑になって、そうやって救われるしかないのだけれども。ファウストという存在は置いておいて、なんか、59年版はその時代性に耽溺しない人の報われなさが目立つものになっていたと思う。特にジーベル。
ファウストとマルガレーテの子供ががっつり舞台に出ることで、次世代を生きることになる子供がまともな環境で生きることもできずに追い詰められた母親によって殺されて終わる(そしてその子供がキリスト賛歌と共に祀り上げられる)というのもすごいシニカル且つ示唆的で、その辺もこれまでのこのオペラを観てきた印象の中でも新しいものを感じていた。
 
あと、現代において公演されるオペラの演出って大体めちゃくちゃ苦手な傾向が多過ぎるのだけど、本作はそこに引っかかりがなく観れるものだったのが地味に嬉しい。変にごちゃごちゃしてない。押しつけがましくない。鬱陶しくない!!!!