- タイトル
- ぼくが旅に出た理由
- 原題
- Peel
- 制作年
- 2019
- 制作国
- イギリス
- 監督
- Rafael Monserrate
- 脚本
- Lee Karaim、Troy Hall
- 原作
- なし
補足
- 本レビューの下書き用雑記メモは『Filmarks』に記録している。(該当ページ)
本文は上記のメモをきちんとした形に書き直したものになる。とりたてて整えるところがなければほぼそのままのものをこちらにも書いている。 - 作品の商品画像部分および楽天ブックスへのリンクのみアフィリエイトリンクになっています。どちらも楽天ブックスのアフィリエイトです。
- 視聴日:2026/01/25(初視聴)
- 評価:☆4
きっかけ
Amazonのビデオレンタルの100円セールのコーナーにあったので何となく観ることにした。
感想
01/25、Amazonビデオにて視聴。字幕版。
Amazonビデオの100円レンタルのラインナップの中にあったので何となく借りた程度の動機で観た。あらすじから、もっとコメディータッチなのかと思っていたものの、ずっとどっしりと構えたヒューマンドラマをしていたので好みであった。
主人公は郊外の平穏な住宅地にある一軒家に住まう男性である。幼い時は、父母と2人の兄と共にこの一軒家で暮らしていたものの、両親には不和があり、(恐らくはそれを埋め合わせるように発生している)母親の異様な子育てが耐えられなくなり、主人公が5歳の時に父親は兄たちを連れて家を出てしまう。恐らく母親はそうなってしまったことに対して受け身で在り続け、ここでずっと主人公と2人で暮らしていくことになる。主人公が置いて行かれた理由は曖昧に濁されてはいるものの、母親が特に彼にべったりしていたこと、家出をするときも彼にくっ付いて眠っていたことから連れ出せなかったというか、彼女に対する生贄のようなものにされてしまったのだと思われる。
以降、彼は相変わらず異様に閉鎖的で子供にべったりとくっ付いて自分に依存させるような母親の子育てを受け続け、恐らく家からもろくに出ない生活を送ってきた。学校の類も恐らくまともに通っておらず、自宅である程度の勉強はするということはしてきた。だから何となく子供っぽさを残したまま、相変わらずむしろ自分に依存しているだけの母親と共に暮らし、遂に30歳を迎えた年に、あっけなく母親が死んで独りになってしまう。世間とろくに触れ合えずにきた彼がこの家で暮らし続けるには何らかの収入も必要になり、家を一部間貸しすることにする。勢いで間借り人を探している彼の下には何やらチンピラのような人物が名乗りを上げてきたりもするものの、なんだかんだ集まった同居人たちと共に同居して過ごすという、彼からすればつい先日までとは大きく異なる人生を歩くようになったり、これまで接してきたごく狭い範囲の人たちとも違う人たちとも交流するようになったりするようにもなる。ある日、同居人と摩擦が起きたりという、これまでとは全く異なる経験も経たりもして、なんだかんだのうちに彼は生き別れた兄弟たちを探すことにする。そうして再会する兄たちはほとんど他人にも等しく最初は迷惑顔でぎこちなかったものの、やがて全ては氷塊して兄弟の繋がりが復活し、同居人やその他の他人たちとも穏やかに繋がることになる。
登場人物たち全員が一見するとささやかなものでしかない「他者間」の摩擦を乗り越えて優しく繋がり直す話であり、大きく目に見えて分かりやすい変化こそしないし、相変わらず最初に居たときと同じ「家」には居るけれども、人生の旅をゆっくりと漂ってはいく前向きに時が進んで行くものでもあった。かなり優しく傷を包み込んで先へと進むことを応援してくれるものがある。
本作はもちろん映画という総合芸術を通して表現された作品として完成しているものではあるのでそこに物足りなさを感じているわけではないのだけれども、同時に、本作を戯曲で読んでみたいという感想も持った。象徴的というか、寓話的というか、そういうものに包みこまれてるお話だったので。童話的というか。本作は「行って帰る」タイプの物語でもあり(なんであれば、母の死と共に既に家にいながら「出発している」とも言える)。
父親と出て行くことになった兄2人は兄2人でそれぞれに苦労は滲ませていて(そもそも当時の彼らに選択肢なんて与えられていなくて、否応なしに父親に連れ出されたようなものでもある)、結局3人ともそれぞれに親の都合に散々好き勝手に振り回されて傷を引き摺ってもいるので、どっちに付いていたらマシだったかとかじゃなくて、どっちにしろ親含めてそれぞれ不幸でしかなかったのだというものをそんなガツガツ可哀想なものとして描かないで包み込みつつ、穏やかに話をまとめてるのがすごかった。
主人公がずっと羊水の中にいることを表すように家にあるプールやどこかの風呂の中に浸っている描写が多々あるのだけれども、エンディングに至ろうとそこから離れることはないまま彼を水には浸し続けていて、別にそこと切り離したからこそ大団円になるんだというふうにはしてないところも優しさを感じた。大人になるとはこういうことですみたいにオラオラしてない感じ。彼は自室のベッドがボート状でもあって、プールにしろこのベッドにしろ、母親と暮らしているときはあまりにも過剰に「母」が付きまとうことで彼を生きながらじわじわと先に進ませずに動かない水の中に繋ぎ止めるような働きとなってしまっていたところが、「母」が居なくなったことでポジティブに転じるものになるというか、元々過保護なまでに安全なものではあった「家」が、重石が取れたように優しい揺り籠に変わる感じというかもちろん、外という危険はより近しくなった形にはなるのだけれども、動かない安全地帯ではありつつも自分で舵を取れる自由さが突き抜けた爽やかな場所になる感じが出ていて、踏み誤ると病んだ感じになりそうなものを、「これでもいいんだよ」という優しさに切り替えているところがかなり救いのある作品だったというか。もちろん、彼を繋ぎ止めて世界から断絶させ続けた「母」が何もかも悪いと言うとやや難しいのだけれども、本作においてはその死が彼を世界に接続させるものに、危険もある外に自分の足で旅に出て行くことを許す契機にはなっていたのだから、まあ、このようにここでは表現させてほしいものである。
主人公は育って来た環境の割にすごくしっかりしていて、いざ外に出ると何をどうしたらいいかがまるで分からなくて途方に暮れるだとか、他者との付き合い方が分からなさ過ぎてモンスターめいた言動をしてしまうとかそういうことはなくて、ややファンタジーめに「ちゃんとしている地の足のつかなさ」はある。そうじゃないとこういうお話が成り立たないのだけれども。ずっと物語の視点の中心にいて唯一独白もあるのに、結構何考えてるのかみたいなのは一番分かりにくいところもあるのだけれども、とはいえ不思議とそれがちぐはぐになっていなくて物語に馴染んではいるので、楽しく観られる。
というか、主人公自身がそう言っているけれども、彼は一見子供じみていて社会を知らず物も知らずややもすると白痴にも見られかねないけれども、そういうふうに思われるほど抜けてはいなくて、ちゃんと彼は彼で考えがあって、他者と交流して、物事に対処できる。だから「子供のように無邪気で他者を癒していく存在」みたいな聖人として彼を捉えた場合、彼の歪んだ依存と教育がもたらした環境を肯定してしまうことになるから、そこは切り離して捉えるべきだと思うというか。いわゆる「聖なる愚者(佯狂者)」的に捉えるべきではないと思う。むしろ、歪んだ「家」の中に閉じ込められ続けても彼は彼という一人の人間として生きてきて、それでいろいろを思いながら日々を重ねてきていたことを受け止めるものなのではないかというか。別に彼に「無垢」とやらがあって荒んだ他者を変えるわけではなくて、彼だって他者によって変わっていくし、普通にお互いに影響を与え合う。他者の気持ちを汲み取ってちゃんと距離感を図るし、自分の価値判断で物事を見つめてだっている。その結果、摩擦してしまった同居人とは健全な信頼関係が築けたし、互いにいろいろ学ぶところもあったし、兄弟の関係は回復するし、お互いに気になっていた女の子とも、波乱を越えてそれでもなお共に過ごすことを選び取る。彼は受け身で居続けた、あるいは支配的であり続けた母(ないしは父)とは違って、よほど自分で自分の人生を進もうとしているし、ちゃんと自分でいろいろを選んでいる。その結果、周囲に集まった人たちもポジティブさで包むようなことになっていく。互いにとって互いに利他的に優しい働きができるように互いに対して関わっていく。確かに「彼」が中心になっているところはあるかもしれないけれども、同時に彼を取り巻く他者だって中心になって立ち回ってはいて、絶対的に彼にすごいものがあるからこそ何もかも好転するわけではないわけであり、そこが本作の肝要なところだと私は思った。
作中でも、他者には他者の人生や個人というものがあって、他者を私物化するようにして自分のほうに巻き込むものではないだろというような台詞があったけれども、作中で批判してるものがあるとしたら父母の在り方であり、終盤になって主人公の金に寄生しようとした、過去にプールの整備をしていた男のさもしい在り方なわけであり。より善く生きるには自分の問題をちゃんと自分で見つめよう、他者を尊重しようという話をしているというか。兄たちにしても、別に主人公に巻き込まれて兄弟の絆を回復したわけではなくて、あくまでその繋がりのきっかけが提示されて、自分自身で自分の問題を見つめ直して、そのきっかけを掴むことを選んだわけであり。みんな、自分で考えて、自分でちょっとだけ運命を切り開いて、結果、優しい水に包まれることになるわけであり(そしてもちろんその水は摩擦していく中でいつまた濁って停滞するとも限らない)。
主人公が兄に言う、「僕はそれでも全てを赦しあげる」という言葉にしても、主人公がそれをどこまで意図しているにしても、その言葉が刺さってしまうのはあくまで自分の問題にズブズブに苦しんでいる兄のほうであって、それだって別に何か強制力があるわけでもない。
というか、母親の仕打ちに対してにしろ、父親の仕打ちに対してしろ、或る種達観している彼の賢さというか、飲み下した上で自分の道を歩くことにした彼、誰かに寄り掛かるために歩くわけではない彼にどうしようもなく何か心が支えられるものがあるところの塩梅がすごく良かった。心が昇華されるものがあるというか、高い所にない輝きというか。主人公の人物造形がすごいと思う。気付けばむちゃくちゃな人生を歩いていた一方の兄のほうが「主人公が俺たちの中で一番賢い」と語る場面があるけれども、彼の持つ「賢さ」ってそういうところだと思うんだなあ。なおかつ、別に自分の不幸に拘泥されてしまうことが愚かだと切り捨てるわけではないし(だってそうなること自体は仕方ないではないか)、「かくあれ」を押し付けるわけでもなくて、本当にとことん優しく前へと押し出してくれるところにまとめているというか。
より善く「あるべき」、不幸を見せるな、自分の不幸に酔うなみたいな形で困っている人を切り捨てるわけではない優しい物語。とにかく救いのある話だった。クローズドなところもありはするけれども、そこが不健康になっていない塩梅がいいというか、一切の押しつけがましさがないというか。繰り返しになるけれども、これだと駄目だよね、変わらなきゃ駄目だよねみたいな圧からは解放している赦しのある作品。いろいろ都合よくうまく行き過ぎているところはあるけれども、繰り返すように戯曲で読みたくなるような象徴性・寓話性のある話なので、それがわざとらしくないというか。
というわけで、ちょっと、監督とか脚本の他の作品も観てみたいかもと思ったけどだいぶ限られているようで悲しかったです。